松本研究室では,試験管やフラスコを用いない先端化学研究というキャッチコピーのもと,真空技術と化学の融合による,凝縮系,すなわち物質の固体や液体の薄膜研究に取り組んでいます。薄膜とは,厚さ1μm以下,究極にはナノレベル・原子レベルの厚さを有する物質材料のことをいい,現代のエレクトロニクス産業を支える重要な材料カテゴリーの1つです。研究室で取り扱う物質は,無機電子・磁性,超伝導材料から有機半導体・液晶,イオン液体と多岐にわたっています。研究内容は,そうした物質・材料のプロセス・診断技術の開発,物性・機能探索およびそれらを用いたデバイスの試作です。こうした研究成果は,化学の知識を活かした次世代エレクトロニクス技術として,半導体プロセス・デバイス,太陽電池や2次電池などへの応用展開を目指しています。
一例として,松本研究室で独自に開発された,真空技術を駆使した最先端の薄膜蒸着装置を紹介します。銀色のステンレス容器からなるこの機械装置は,その内部が宇宙空間と同レベルの真空環境で,物質・材料合成時の不純物の混入を極限にまで排除し,精密な薄膜合成が可能なパルスレーザー堆積(PLD)と呼ばれる装置です。外部から強力な紫外線を導入し,複数の薄膜原料にレーザーを超高速で照射することで,高融点のセラミックスでも一瞬にして揮発させることができ,揮発した原料成分を対向する基板上に蒸着・堆積させることで任意の組成・構造の薄膜を原子レベルで形成することができます[Rev. Sci. Instrum. 90, 093901 (2019)]。松本研究室では,有機半導体・液晶やイオン液体などのソフトな材料に対しては,赤外線レーザーを代わりに用いることで,同様にレーザー蒸着で薄膜化する技術も開発しています[Sci. Technol. Adv. Mater. 12, 054210 (2011)])。
次に,そのようにして作製した薄膜の例を紹介します。研究室では,無機セラミックスグループと有機液晶・イオン液体グループに分かれています。 セラミックスなどの無機材料合成では,1000℃を超える温度が必要であることがしばしばですが,真空環境下でのPLDプロセスでは,1000℃以下の低い温度でも,良質な単結晶膜が得られます。左上図は,強誘電体とスピネル磁性体との自己組織化によるナノレベルの相分離膜をこの手法で作製した例です。相分離界面での応力を制御することで新しい強誘電体相や分極軸の自由回転が発現した興味深い材料薄膜の1つです[ACS Nano 7, 11079 (2013), Nat. Commun. 5, 4971 (2014) ]。左下図は,光触媒膜のドープ濃度(Sr)を膜厚方向に傾斜させることで,光励起キャリアを長寿命化した例です[Chem, Mater. 33, 226 (2021)]。一方,赤外蒸着法による有機半導体・液晶,イオン液体では,右上図に示すように,サイズや厚さがナノメートルオーダのイオン液体のナノ構造体や薄膜,そのイオン伝導特性 [ACS Nano 4, 5946 (2010), ACS Nano 12, 10509 (2018)],また,そうしたナノ・マイクロのイオン液体を介した「イオン液体真空蒸着法」を世界で初めて提案し[Cryst. Growth Des. 10, 3608 (2010)],ペンタセンの単結晶を短時間で合成するプロセスの開発に成功しました [Cryst. Growth Des. 11, 2273 (2011)]。右下図は,イオン液体のような液相だけでなく,自己の液晶相を介することで,巨大な有機単結晶薄膜の作製に成功した例です[CrystEngComm. 25, 64 (2023)]。最近では,赤外レーザー蒸着法が,水素化ホウ素リチウム[ACS Appl. Electron. Mater., 1, 1792 (2019)]や有機ペロブスカイトなどの薄膜作製にも有効であることがわかってきました。
松本研究室では,プロセス以外にも,真空技術と組み合わせた新しい分析・診断技術の開発にも取り組んでいます。左図は,高温環境下の固液界面での結晶成長の様子をその場観察可能な世界でも例のない特殊な真空レーザー顕微鏡装置です。今や電車にも搭載され始めたパワー半導体と呼ばれるSiC結晶の溶液成長過程で,結晶面のステップが前進していく様子を世界で初めてリアルタイムで観察することに成功しました[Cryst. Growth Des. 17, 2844 (2017)]。
一方,右図は,1枚の基板上にドーピングレベルと製膜温度をX-Y軸方向に変化させた有機薄膜を一括合成し,放射光施設Spring-8の斜入斜X線回折手法でマッピング測定した結果です。機械学習と組み合わせることで,最小限の測定点数で,ドーパント濃度に依存した有機薄膜の結晶性を高速に評価することが可能となりました[ACS Comb. Sci. 22, 348 (2020)]。 そのほかにも,PLDプロセスと電気化学を複合したin situ PLD装置を設計し,薄膜電極試料を大気に暴露せず,イオン液体を電解質とした真空電気化学測定が可能な新システムを開発し,新しい半導体電気化学を目指した研究にも取り組んでいます[ChemElectroChem, 2020, 7, 3253 (2020)]。
SiC薄膜の作製では,JST-ALCAの支援のもと,1000℃以上の高温融液の共存下で真空蒸着を行うvapor-liquid-solid(VLS)と呼ばれる特殊な薄膜プロセスにより,単結晶にも劣らない高品質なSiC薄膜を実現し,ショットキー接合において良好な整流特性の観測に成功しました[Mater. Today Chem. 16 (2020) 100266]。
のPLDプロセスにより作製しました。組成傾斜法によるLi2CO3 とCoO の供給比を変化させた一連の薄膜を一括合成・評価することで,組成が最適化された薄膜では,結晶性や表面形状が著しく改善され,結果として電池特性が向上することを見出しました[ACS Comb. Sci. 18, 343 (2016)]。一方,先述のイオン液体を介した有機版VLSによって得られたペンタセン単結晶の電界効果トランジスタでは世界トップレベルの移動度を達成しました[Appl. Phys. Lett. 101, 083303 (2012)]。また,イオン液体と多孔質高分子とをナノレベルで複合した薄膜状のナノイオン液体ゲルを開発し,これをゲート材料とした電気二重層有機トランジスタの動作を確認しました。このイオン液体ゲルは,真空蒸着で一貫して合成できるゲート電解質ナノシートとして,様々な集積デバイスへの応用が期待されます[ACS Appl. Nano Mater. 3, 9610 (2020)]。
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